おっとっと冬だぜ

広義の意味では日記だが、狭義的にはゴミ置き場

小学生時代、クラスにオウム真理教ブームが到来した話

皆さん、こんばんは。吉田粘土です。
脇の下が化学兵器と化し、自らの鼻に強烈なダメージを与えるこの季節、皆さんいかがお過ごしでしょうか。


さてさて、先日、元オウム真理教の死刑囚のうち、麻原彰晃、井上ヨシヒロ、土谷正実、新実トモミツ、遠藤誠一、早川キヨヒデ、中川トモマサ(だったかな?)の7名の死刑が執行されたようで、世間でもそのニュースが連日大きく報道されていましたね。




なぜ、上のような表記になっているのか・・・。




なぜならば、上の文章は何も見ずにソラで書いているからであります。
私は、小学生時代にクラスの一部男子にオウムブームが到来したことで、オウムで逮捕された幹部のうち、わりと重要な信者に関してはフルネームを覚えているのです。
その時の成果と言っていいかわかりませんが、今回、死刑執行のニュースで7人の名前を聞いた瞬間に、すぐに記憶できるくらいに当時記憶した信者名が前頭葉の裏側にこびりついているのです。


今日は、なぜこのような異常な事態になってしまったかについて、私の小学生時代の思い出話を交えて説明をしたいと思います。





この話をする上では、まずは私の小学生当時の時代背景をしっかりと説明しておかなくてはいけません。



我々の世代は4年生のときに、Jリーグが開幕し、空前のJリーグブームが訪れるのです。そして、それによりクラスのヒエラルキーの上位層から中位層までに要求されるスキルとして、突如サッカーの知識スーパーファミコンサッカーゲームの腕前が必要不可欠なものとなったのであります。


営業マンがゴルフを嗜(たしな)まないと営業成績を上げられず、社内でのポジションが確立できなきように、我々の小学生時代にはサッカーとサッカーのゲームを嗜んでいないと不都合なことが多すぎたのです。


カズ、武田、ラモス、アルシンドジーコなどは常識中の常識で、モネールとかディアスとかマイヤーとかですら覚えておかないと中流階級の仲間にすら入れてもらえないのです。サッカーをやるやらないに関係なく、とりあえず「ディアスのフリーキック、超やべぇ」とか言っておかないといけなかったのです。




そして、そのような「サッカーを知らずんば人であらず」という風潮に大きな風穴をあけたのが、クラスメイトの西川でした。それは私が小学6年生のときの出来事です。



この西川という男、小学生にしてロッカーに週刊プレイボーイを隠し持っているという本物の男でした。否、本物のでありました。

ちなみに、これに関しては少し説明が必要で、私が5〜6年生の担任だった教師が変わり者で、何故か雑誌、漫画を学校に持ってきていいという斬新な教育思想の持ち主だったんですね。


そのため、我々のクラスでは雑誌を持っていくこと自体は悪いことではなかったのです。実際、私も毎週月曜の朝には登校中にジャンプを買っていってましたから、ロッカーに雑誌は別に何でもないんです。


ただ、小学生レベルの公序良俗に反する雑誌、漫画を持ち込んでいることがバレたときには、やはりそれなりに指導を受けるのです。
私は「行け!稲中卓球部」で怒られたのですが、西川の「プレイボーイ」も当然怒られました。


しかし、怒られたあとに、一応反省して稲中は持っていかないようにした自分に対して、西川はその後もプレイボーイを持ち込み、ロッカーにプレイボーイを忍び込ませるのは止めなかったんですね。


読者の方の中には家に隠すよりも、学校に隠した方が親に見つからないので、学校のロッカーに入れていたのではないかと推理する方もいらっしゃるかもしれませんが、それは全く違います。


なぜなら、彼の家のリビングには普通にプレイボーイが転がっており、彼は母親から「またそんなの読んで!」と面と向かって言われていましたからね。
私は、彼の家に遊びに行って、その瞬間を目撃したときに、人生で初めて同じ年齢の男に尊敬の念を抱いたのであります

この男は只者ではないぞと…。

自分の常識の外側にいる人間だぞと…。

彼は、教師から少し注意されたくらいでは、自分のイズムを曲げるような普通の男ではなかったのです。




そして、その西川がなぜかオウムの話題にやたら詳しかったんですね。
松本のサリン事件と地下鉄サリン事件の関連性を雄弁に語り、いかにオウムが危険かをクラスの下層グループ相手に解説していたのです。
西川の解説は、古代ギリシアソフィストたちが弁論によって人々を導いたのと同じように、ニュースで「オウム」と聞いて、喋る鳥しか連想できなかった我々に新しい時代の幕開けを感じさせたのであります。
(今、考えたらプレイボーイで得たオウム情報の垂れ流しだったんでしょうけどね)


西川に憧れていて、西川に近づきたいと思っていた当時の自分は、彼と同じレベルで会話をすべく、オウム関連のニュースを食い入るように見て情報収集するようにしました。


またそこには、西川への憧れだけでない事情もありました。
5年生の時に私一人だけ謎の競馬ブームが到来し、サッカー選手よりも「ナリタブライアントウカイテイオーメジロマックイーン」などの名馬の名前を覚えることに注力していた結果、サッカーで盛り上がるイケている層と少し溝ができつつあり、自然、比較的に仲の良い西川と会話せざるを得なかったというような背景もありました。
恐らく、他の下層グループの人間も似たような背景があったと思われます。皆、同じように西川のレベルを目指したのです。


当時は、定期的に教団幹部が指名手配 or 逮捕され、その度に大きなニュースになるという異様な空気感が日本全体を覆っていました。そして、その異様性が西川を仲介して我がクラスにも侵食してきたのでした。



サッカーに興味がなくサッカーの話題に入れない下層グループが、西川を中心としたオウムの話題で盛り上がていった結果、いつしかクラスの上流層でサッカーの選手名をたくさん覚えている奴がチヤホヤされるのと同じように、下流層ではオウムの信者名をたくさん覚えている奴が尊敬の眼差しを受けるようになっていったのです。



当然、当時はインターネットはありませんし、オウムはサッカーや野球と違って、オウム名鑑のようなものは発売されていません。(別冊、宝島あたりが出していたかもしれませんが、少なくとも小学生は手に取りません)

また、小学生なので、新聞を読む習慣もないため、オウム信者を覚えるにはいかにワイドショーで発せられる信者名を記憶していくかの勝負になるわけです。



「林は林でもヤスオの方!」くらいは普通。知ってて当然のレベル。
それに対して「平田も二人いるからね」とか西川が言い出したときは、さすが西川という羨望の眼差しが向けられるのです。

「土谷正と新トモミツは二人ともミが実という漢字なので、間違えないようにしよう」とか西川が言うんですけど、そんなもんテストでは出ませんから、そもそも間違える機会がないわけです。

おかげさまで、初めてヤクルトの石井一久の字面を見たときには、「パッと見、石井久子っぽいな」みたいな印象を受けたのを今でも記憶していますし(たぶん、クラスでもそんな話をしたと思う)、後年、帝京高校松本剛(現日ハム)を初めて見た時には「オウムで松本剛っていたなー(野球は まつもとごう で、オウムは まつもとたけし だが)」みたいなことを思うんですね。


尚、オウムブームは「ニイミのホーリーネームって、ニラレバっぽいやつだったよな!(実際はミラレパ)」とか、ホーリーネームまで覚えようとする奴が出てくる始末で、そこまで行くと最終的にはそれが本当なのかどうか西川でもジャッジできなくなり、そのブームは3ヶ月ほどで終焉を迎えるのでした。






現在、企業経営では効率よく収益を上げるために、限られた社内リソースをいかに選択と集中をさせていくかが重要であるということが叫ばれています。

先日の死刑執行のニュースを聞いたときに、いまだにオウムの信者名が記憶に残っていることを実感させられたわけですが、小学生時代の私は、限られたリソースを随分と無駄なところに集中させたもんだと今更ながらに後悔しました。
子供時代に将来を見据えてもっと質の高いインプットができていれば、もう少しまともな大人になれたのかもしれないなと、そんな風に思うのです。


そういう意味では、私もオウムの被害者と言ってもいいのかもしれません。



やっぱり、言ってはいけないのかもしれません。




『追記』
改めて読み返してみると、「大きな風穴をあけたのが、西川」とか書いてるけど全然あけていないって言うね。
あと、タイトルで さもクラス全体にブームがきたような書き方してますけど、実際はクラスの5~6名の話ですからね。オウムブームがクラス全体に蔓延して、サッカーブームを駆逐したみたいな話だったら、もっと面白かったんでしょうけど、現実はそんなもんです。