おっとっと冬だぜ

広義の意味では日記だが、狭義的にはゴミ置き場

昔、コンビニで働いてた時に哲学者が来て焦った話

私は、学生時代4年間コンビニでアルバイトをしていました。
働いていたのはセブンイレブンで、駅から離れた住宅街にあり、歩いて30秒ほどのところに交番があるという立地条件だったためか、比較的に客層はまともな人が多く、困ったお客さんは滅多に現れず、非常に働きやすい環境でした。


コピー機の操作を手伝っただけで、ジュースを買ってくれるオバ様がいたり、レジ横のホットスナックの新商品をPRしたら、「じゃあ、兄ちゃんが食べなよ」と言って奢ってくれた建設労働者のお兄ちゃんがいたり、良いお客さんの思い出の方が多いくらいです。


ただし、そんな店でも やっぱりヘンな客はいて、今日はその数少ないヘンな客の中でも一番印象に残ったヘンな客の話をしたいと思います。




私が4年間のコンビニバイトで、一番印象に残ったヘンな客は、いつものように夕方からシフトに入って、もうあとちょっとで交代の時間になりそうだという夜9時過ぎに来店してきました。
いかにも頑固者に見えるおっさんが宅急便の荷物を持ってきたので、いつものように伝票を書いてもらって、その間に荷物の大きさを測って、届け先の住所をレジに打ち込み、そして会計前に「明日届きますけど指定の時間はありますか?」って確認をしたんですね。まぁ、よくある光景じゃないですか。
そしたら、おっさんが「それ、ホントに明日届くのか?」って言ってきたんですね。


私は「大丈夫ですよー。明日届きます。」と普通に回答をしたところ(何ならちょっとにこやかに回答したところ)、次におっさんは





「だったら、証拠見せろ!」

 


と言い出したんです。
私は「明日届きます」と言っただけで「真犯人は・・・おっさん、お前だ!」と言って指を差したわけではありません。当然、招かざる客、コンビニの悪魔、セブンの悲しき復讐鬼とかのキャッチフレーズもつけていません。おっさんは、真犯人ではなくお客さんだから。
ただ、おっさんの言う証拠は、会話の流れから考えて、明日荷物が着くかどうかの証拠の要求であり、つまりは「明日届きます」と言った私の言うことを信じてもらえていないわけです。
私自身、証拠を見せろと言われると思わなかったので(そんな奴今までいませんでしたし)、若干パニックになって、次の返答をするまでに間ができてしまったんですが、そしたらおっさんが




「俺は宅急便が初めてだから、証拠見せろよ!」



と更に強めに言うんです。なぜかキレてるんです。


いやいや!!!!!!
そもそも、顧客が店側からサービスを提供してもらう場合、店側のサービスが適切に実施されるかどうかは、もう店側を信じるしかないと思うんですね。それをいちいち証拠を要求していたらキリがないと思うんです。


松屋で「本当にこの食券を渡したら、牛丼出てくるのか!証拠見せろ!」とは言わないですよね?


空港で「本当にこの飛行機はハワイに行くのか!証拠見せろ!」とも言わないですよね?


キャバクラで「本当に20代前半ばかり揃えてるのか!証拠見せろ!」とも言わないですよね?


あー、最後のは言う人いるかもな・・・。


とにかく企業は客に提示したサービス内容をその通りに遂行する義務があり、それが守られないときは市場から退場させられるのが現代の社会構造なわけで、そのサービス提供における顧客の信頼感が強く、多くの人から信頼されている企業に“ブランド”という付加価値が付いてくるわけで、それで言ったらセブンイレブンとかヤマト運輸なんてのは正に正真正銘なブランド企業であり、その企業が信用できないとなると、じゃあ、お前は一体何を信用するんだって話になるわけです。
ただ、心の中でそうは思っても、現実に目の前のおっさんはセブンイレブンヤマト運輸は信用できないようで、証拠の提出を求めてきていますし、一応お客さんなんでそれなりの対応はしないといけないと思うんです。


コンビニで働いたことある人なら分かると思うんですけど、宅急便って手間がかかるんで、お客さん多いときに来られると、ちょっとイヤなんですよね。
この時も、隣のレジに列ができてたんで、バックヤードから宅急便のマニュアルを探して持ってきて説明してもいいんですけど、ただでさえ時間がかかる宅急便の客相手にそこまで時間をかけたくないわけです。
正直、「うっぜぇーーー!!!!!!!!!」としか思わないわけです。


「じゃあ、賭けをしないかい?もし。おっさんの荷物が指定先に明日届かなかったら、俺はおっさんの言うことを何でもする。損害賠償金として多額の金を要求するんでもいいし、人を殺させるんでもいい、俺の目をくり抜くんでもいい。何でもしてやる。
 そのかわり、もし荷物が届いたときは・・・、おっさん分かってるよな?」


みたいなこと言って脅して屈服させても良かったんですけどね。
でも、そんなこと言っても おっさんの返答は見えてるわけです。





「何でもやるっていう証拠見せろ!」



絶対に言ってきます。
セブンイレブンヤマト運輸を信じないおっさんが、アルバイト店員の言うことを信じるわけがない。 


物凄くウザくて仕方ないと思ったんですが、そこで私はハッと気付いてしまったんです。
いやいや違うと。このおっさん、疑っているんじゃないぞと。


疑ってるのではなく、探しているんだと・・・。


この世のありとあらゆるもの、全てのものを否定して、この世の真理を探す男なんだと・・・。


こ、このおっさん・・・。







デカルトだ!!!

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ルネ・デカルト(仏 : 1596/3/31 ~ 1650/2/11) 

 


ありとあらゆる物事の存在を疑い、少しでも疑う余地があものの存在は全て否定していった結果、最後に今その瞬間にそのことを考えている自分だけは存在するということに気付き、「我思う、ゆえに我あり」と言った、あのデカルトです。デカルトの生まれ変わりが現代の東京、しかも、私の目の前に現れたわけです。


ただし、おっさんの顔はデカルトというよりは、どちらかと言うと西田幾多郎でしたけどね。
ギリシア神話に出てくる、頭は獅子、胴体は山羊、尻尾は蛇の怪物キマイラよろしく、顔は西田幾多郎、前世はデカルトという、とんでもない哲学の怪物が目の前に現れたわけです。

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西田 幾多郎(日本 : 1870/5/19 ~ 1945/6/7) 



そして、デカルトの生まれ変わりである男が、正に今、方法的懐疑法という鋭い刃(やいば)を、私の喉元に突き付けて、本当にセブンイレブンヤマト運輸に荷物を渡すのか、ヤマト運輸は本当に荷物を明日届けるのか、そして、それが世界の真理なのかを迫ってきているわけです。
つまり、荷物が明日着くことが重要なのではなく、荷物が明日着くということが本当に絶対と言えるのか、そして絶対と言えるなら、その証拠はあるのか、ただしその証拠とは荷物が明日着くということが世界の真理であることを確実に証明するものでなくてはいけないが、本当に証明できるのかを迫ってきているわけです。
数学の公式や定理も否定し、一旦は神をも否定したデカルトに、ヤマト運輸が明日荷物を届けるのが絶対であるかを問われているわけですが、そうなるとちょっと回答のしようがないわけです。




「あぁ・・・あ・・・あ・・・、デカ・・・」


「もういいよ!さっさと会計しろよ!」

 




デカルトはそう言って、会計をして去っていきました。
あれほど理不尽に怒っていたデカルトが、最後はどこか寂しそうな表情に見えたのは、今回も真理が見付からなかったことへの喪失感、虚無感、寂寥感(せきりょうかん)が入り混じった感情の現れだったのではないでしょうか。




近年、神戸製鋼所の検査データ改ざん、三菱自動車の燃費試験データ不正、日産の無資格検査員による検査、タカタの欠陥エアバッグ東芝の不適切会計など、ブランド企業の不祥事が続いており、我々は何を信頼していいのかわからない時代になっています。
そういった企業不祥事のニュースを聞くたびに、私はあのときの おっさんが、企業の“ブランド”なんてものは信じるに値するものではなく、そこに真理と呼べる絶対的な価値はないということ、そしてそこに胡坐をかいているバイト店員にお灸を据えようとしたのではないかと、そんな風に感じるのです。
そして、私は呟くのです。「我思う、ゆえに我あり・・・・・・か・・・」と。



尚、おっさんはその後 度々店に来ていましたが、私の中でおっさんのあだ名がデカルトだったのは、言うまでもありません。