おっとっと冬だぜ

広義の意味では日記だが、狭義的にはゴミ置き場

まさる

先日、とあるサイトを見ていてパニックに陥り、危うく過呼吸を起こしそうになるといった出来事があった。
明らかに直接脳ミソを攻撃しようという意図を持ったそのサイトは、もしも兵庫県警が見たら卒倒すること間違いないであろう。


当然、これからそのサイトを紹介するのであるが、今回、喘息持ちの読者は吸入ステロイド剤を片手に読み進めてもらいたい。あと、アダルトサイトではないので、ズボンは履いたままで結構である。

 

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皆さんは『デュエル・マスターズ!』というアニメをご存知だろうか?
いわゆる、遊戯王から脈々と続いているトレーディングカードゲーム系アニメの系譜で、最近、5歳の息子がこのアニメに夢中なのである。


尚、息子は作中のカードゲームのルールは全く理解していない。

当初、私もそれで何が面白いのかと思ったが、よく考えると、私も碁のルールなど全く知らないのに『ヒカルの碁』が好きであるし、クラスの女子とまともに会話ができなかったのに『BOYS BE…』を熱心に読んでいたので、子供心にはそのあたりはあまり関係がないのであろう。



そして、この『デュエル・マスターズ!』のアニメの公式サイトが問題のサイトなのである。



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息子が好きなデュエルマスターズについて、一緒に会話できるくらいの知識を得たい。


そして、子供と同じ目線で話せる良いパパを演じたい。


あわよくば、息子の知らない知識をひけらかし、博識な父親という印象を植えつけたい。 



そのように考えた私は、公式サイトで情報収集を開始したのだが、そこで悪意ある攻撃を受けたのだ。

 


それは、手始めに登場キャラクターの相関関係の把握を試みようと、キャラクター紹介ページを開いたときの出来事であった。

 

 



キャラクター紹介ページをクリックすると、当然、まず主人公が載っている。

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彼は、当然私も知っている。ジョー君だ。
背は小さいがガッツがあり、どんな劣勢なときでも勝負を諦めないタフガイだ。
あと、ラーメンが好きというのも知っている。

 



そして、ジョー君の紹介文にある「デッキー」が次の彼である。

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サイズ感が分からないと消しゴムのお化けかと思うかもしれないが、彼はカードケースをモチーフにしたバケモノである。





ここまでは、特に何の問題はない。
だが、我々はこのあとから混沌の世界に誘(いざな)われることになる。






次のキャラクターがキラである。
彼も見たことはあったが、キラという名前であることは初めて知った。

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しかし、そんなことよりも気になるのは彼の紹介文である。






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マサル

 





突如として謎のキャラクターが登場したのである。

ちなみに、紹介文の後半に「自身の正義を貫くあまりジョーと衝突することも」とジョー君との関係性らしきものは別に記載がある。

 



Who is Masaru?



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武田勝か?




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埼玉のダルビッシュこと、中村勝の方か?




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何なら、臥牙丸勝か!?






いやいや、そんなわけないのはわかっている。


 

この勝なる人物について、私は心当たりがあった。



ジョー君とキラともう一人、いつも一緒にいる男子のキャラクターがいることを私は知っていた。

先程名前を知ったキラ同様に、顔は分かるが名前は知らないキャラクターがいる。

恐らく、そいつが勝であろうことは想像に難くない。



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そして、案の定 次に載っていたのは彼であった。

 



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ボルツ?



マサルでは…なく?

 





お前が勝ちゃうんかい。

 


このあたりから、脇に汗がじとりと吹き出してくるのを感じた。

脳ミソの奥底で、得体の知れない何かを感じ取っていた。

 


更に下にスクロールすると、次のキャラクターはヒロインであった。
彼女はジョー君が「ももちゃん」と呼んでいるので、名前も知っていた。

 

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だから、勝は誰やねん!





こうなると、他のキャラクターの詳細を読むのは後回しで、最優先で行うべきは勝探しである。ひたすらに、下にスクロールして、片っ端から名前だけチェックしていく。

 


ウサギ団

シャチョー

古今プリ人

ハンター

トテント

トンボ

カブト鬼

デンデン

ハニーQ

ミノマル

ゼーロ


キャラクターの紹介ページに載っているのは以上である!

 






勝などというキャラクターはいない。

 





この時点で軽いパニックである。



もしかしたら、朝井リョウ氏の小説『桐島部活やめるってよ』のように、名前だけ取り沙汰されて、本人は登場しないパターンなのか?

けれど、そんなトリッキーな手法を子供向けのアニメで使うか?

いやいや、絶対に重要なキャラで勝なる人物がいるはずだ。

 


などと思考の迷路をさまよいながらも、私は一つの仮説に辿り着いた。




デュエル・マスターズは、昔、全く違うシリーズのアニメがあったはず…。

 




昔の主人公が勝なのでは!?

 



これだ!!

 

これしかない!!

 

急いで、ヤフーで検索し、昔のデュエルマスターズの情報収集を開始した。そして、下記のサイトに辿り着く。

 

matome.naver.jp



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切札勝舞?


勝ではなく、勝舞?





おしいっ!!

 






おしいってなんだよ。



私の仮説はあっけなく崩れ去った。

勝の謎は残ったままである。

最早、迷宮入りである。



恐らく今後、息子が楽しくデュエルマスターズを見ている横では、私は血眼になって勝を探しているであろう。
精気を失った青白い顔で、目は充血させながら「マサル…、マサル…、マサルはどこだ…」と呟きながらテレビを直視しているであろう。



そして、9時に息子がチャンネルを変えて、おしり探偵を見始めたときに、

「お前が勝かー!!」


などと奇声を上げるであろう。



更には、公園でカードゲームをしている子供を見かけては、「お前たちの中に勝を知っている奴はいるか?」と聞いて周り、近所の小学校で「マサルジジイ」として畏怖の対象となるであろう。

そして、「5時のチャイムが鳴っても公園に残っていると、マサルジジイに連れて行かれる」と言った都市伝説が生まれるであろう。






私は良いパパになりたかっただけなのに、なぜこうなったのか…。

 

 





そんなことを思いながら、ストーリー(あらすじ)のページに移ったそのときである。

 

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主人公、切札勝(ジョー)?

 

「勝」と書いて「ジョー」?

 




 え?

どういうこと?

キャラクター紹介ページの表記は何?

自分の読めない名前を気にしていて、なるべく普段使う表記はカタカナの「ジョー」にしておいて、将来的に「切札ジョー」に改名する気なのかな?

 

読めない名前をつけると子供が可哀想だよ ってそういうことなのかな?

 

 

 


かましーわ!!







 

 

このサイト作製者のホスピタリティ精神は完全にバグってると言わざるを得ない。

 


主人公の紹介で「切札ジョー」と漢字表記を避けておきながら、途中のキャラクター紹介文で突然漢字で「勝」と書いてくるという雑な仕事振り。

このサイト製作者は、その突然あらわれた「勝」を「ジョー」と読める人間がこの世の中に何人いると思ってるのか。


はっきり言って、芝草宇宙の名前を初見で「ひろし」と読めた人間くらい皆無なはずだ。
(今回はやたらに日ハムの投手が登場する回となっている)


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とにかく、おかげで酷い目にあった。

 

 






おい!




サイト製作者ッ!!








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お前に足りないものは想像力だ!!!




Let's think.

パンツーマルミエは今も現役で子供たちを魅了している

今回の話がどこまで知名度のある話なのかわからないため、もしかしたら大部分の読者を置いてけぼりにしてしまう可能性もあるのだが…。
ただ、よくよく考えたらこのブログはほぼ毎回読者を置いてけぼりにしているので、今更その断りを入れる必要があるかはわからないが、一応、事前にその点を忠告しておく。


※尚、毎回読み手の気持ちなど一切考慮せずに酷い文章を垂れ流しているため、このブログに関しては、はてなユーザーが忌み嫌う「読まずにスターをつける行為」を、書き手自身が積極的に推奨している日本で唯一のブログとなっている。


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さてさて、皆さんは、「パン・ツー・マル・ミエ」なる呪文をご存じだろうか。

呪文なのか、祝詞(のりと)なのか、うめき声なのか、断末魔なのか、讃美歌なのか、そのへんはいまいち定かではないが、とにかく子供時代に「パン・ツー・マル・ミエ」なる謎の言葉を発したことがある人間は一定数いるのではないだろうか。



そして、この謎の言葉を発するときは、謎のジェスチャーもセットとなっていたはずである。
最初の「パン」で手を叩き、「ツー」でVサインをし、「マル」でOKサインを出し、「ミエ」で敬礼のポーズに似たような手の位置で遠くを見るようなジェスチャーをしたと思う。多少細かい部分は違っているかもしれないが、ジェスチャーがあったことは共通してるのではないだろうか。





その起源については、「アラレちゃん」であるとか「8時だよ全員集合」であるとか「新古今和歌集」であるとか諸説あるようである。(最後のは今勝手に作った)



しかし、一体なぜ、下着が拝覧できる状態である旨を、身振り手振りを交えて伝えなくてはいけないのか。

一体なぜ、そのような使用頻度が極めて低そうな伝言内容を、わざわざ小学生男児の中で共通認識化させる必要があったのか。


それなら、手話で「なにか手伝いましょうか」を覚えた方が余程 有意義であったはずである。

 

はっきり言って、考案者の意図が全く読めない。


深く考えだすと謎ばかりなのであるが、とにかく私の子供時代には誰もがこの言葉とジェスチャーを知っていたし、なぜか今でも強烈に頭の中に刷り込まれている。

 

 

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では、何故いきなりそんな話をし始めたかと言うと、なんとこの呪文がいまだに生きていることを知ったからである。

 


今朝、朝食後に5歳になる私の息子がこの言葉を発していたのだ。



我々の小学生時代に驚異の浸透性を見せ、大人になった今でもオウム真理教のマインドコントロールのように我々の頭に刷り込まれている謎の呪文が、30年経ってもその浸透性は衰えず、今の子供たちの脳ミソに侵食していたのだ。




この衝撃は、ダイハード打線の一員として2003年に井口、城島、松中とともに100打点カルテットを構成したペドロ・バルデスが、2013年のWBC(ワールドベースボールクラシック)でプエルトリコ代表に選ばれていたのを知った時と全く遜色のない「お前、現役だったのかよ!」感と言えば伝わりやすいかと思う。




ちなみに、バルデスは「ちゃんと守備をしない」「ポップフライだと全然走らない」というヤル気の無さで、しばし王監督を苛立たせるものの、打撃はめちゃくちゃ凄い(3年連続3割)という極端な奴で、見た目も、常に仏頂面でほぼ笑ったところを見たことがない & アメリカで天文学的な懲役年数を言い渡された犯罪者みたいな風貌 というのも相まって、個人的にはとても好きな助っ人外国人だった。


 

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バルデスは、ヒーローインタビューを拒否したこともあった。



バルデスの思い出話はそれくらいにして本題に戻すが、前述したように、今朝、息子が「パン・ツー・マル・ミエ」という懐かしい言葉を発していたのである。




しかも、更に衝撃的なことに、そのあとに「ゴリラノ・オシ・リー」という謎の下の句を付け加えていたのである。












ゴリラノ・オシ・リー?

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ゴリラノ・オシ・リー?

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ゴリラノ・オシ・リー?

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上の句を聞いた瞬間は、バルデスの思い出が走馬灯のように脳内を巡ったが、その下の句を聞いた瞬間、私の頭の中は?マークでいっぱいになった。



ここまで頭の中が?マークで埋め尽くされたのは、中学生時代、水泳の時間に、

①男子で水泳を見学する人の割合

②女子で水泳を見学する人の割合

この①と②が統計学上はほぼ同じ割合になりそうなのに、実際に集計してみると明らかに②の割合が多く、謎の偏りが生じるという現象に気付いたとき以来の ?マークで頭いっぱいの状態である。




「ゴリラノ・オシ・リー」は、当然「ゴリラのお尻」なのであると思う。


しかし、元々「パンツが見える」という文化社会学な文脈の話をしていたのに、なぜ急に「ゴリラのケツ」という生物学的な話へと飛躍したのかは全く意味が分からない。
打ち切りが決まったジャンプ漫画でも、そこまでアクロバティックな展開は見せないように思う。



もしかしたら、ゴリラは5リラで、上の句と同じく文化社会的な文脈の話なのかもしれないが、5リラだと今度は「オシ・リー」の説明がつかないので、やはり素直に「ゴリラ」だと考えるべきであろう。

 

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そして、文節に関してもおかしなことになっており、拍子の関係で文節が「オシ」と「リー」に分かれてしまっているため、それに相当するジェスチャーがなくなっているのである。

考案者の意味不明さ加減にインスパイアされたのか、誰かが更に意味不明な状態に仕立て上げたのである。

 


とにかく、「パン・ツー・マル・ミエ」は現代でも生きており、更に不思議な進化を遂げていたのである。





いや、これはもはや進化ではなく退化であろう。
謎の言葉に、更に全く文脈の異なる謎の下の句をつけて、ジェスチャーもどっかに行ってしまうのは、進化ではなく明らかに退化と言った方がいい。


 

 

そして、私の頭の中に更にひとつの疑問が浮かんだ。

 




 

もしかして・・・、

 





 

野村 望東尼(もとに)は、

 

生きているのか?

 

 




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(野村望東尼 1806/10/17 ~ 1867/12/1)



野村望東尼(本名、浦野もと子)は、幕末に活躍した福岡藩出身の女流歌人である。
彼女は勤王家としても知られており、福岡で勤皇の士をかくまったり、密会の場所を提供したりしていた。



そして、野村望東尼と言えば、高杉晋作の辞世の句に、余計な下の句をつけたで有名な人物なのである。

 


高杉晋作「おもしろき 事もなき世を おもしろく」は非常に有名な辞世の句であるが、晋作の最期を看取った野村望東尼は、病床に伏せる高杉晋作が上の句を詠んだあとに下の句が詠めなかったために、「住みなすものは 心なりけり」と付け加えたのである。(…とされている)



そして、この下の句は、司馬遼太郎が酷評していたりするし、実際に下の句の方は世間には全く浸透していない。




つまり、昔から 余計な下の句を入れる人=野村望東尼 と相場は決まっており、「ゴリラノー・オシ・リー」などいう続きを考えたのも彼女以外には考えられないのである。

 


つまり、彼女は生きているのである!!



息子の保育園に生息して、相変わらず酷い下の句創作に励んでいるのである!!

 

 



 

 

 

……

 

 

 

 

 

うん、大丈夫です。生きてないって分かってます。


 

 

ブログ書くために無理やり話を展開させただけです。


 

 

「野村望東尼は、生きているのか?」
じゃねーよ。


 

 

だいたい唐突に名前出すには、野村望東尼はあまりにマイナー過ぎだろ。




文脈もう少し工夫しろよ。


 

 

今、読み返してみても、後半の話、完全にいらないですね。

 



 


ん?

 




あれ?



 


後半、いらない?




後半に余計な文章加える?


 

 






うわっ…私の文章、

モトニすぎ…?

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皆さん、そろそろ見て見ぬ振りをやめませんか?

日本社会では、社会構造の歪みによる不都合・不合理な事象を誰もが問題であると認識しているにも関わらず、それが何世紀にも渡って積み重ねられた複雑な問題であるからという理由で誰も解決ができず、結果的に誰もが見て見ぬ振りをしている課題が数多くあります。


今回、私が論じる問題も、長年解決されてこなかった問題であるにも関わらず、今現在も誰も解決の道を探ることもせず、ひたすら次世代に先送りされるのを待つだけという状態になっております。



かく言う私自身も、自分にとって生死を分けるほど大きな問題となっていないために、今までは他人事で済ましてきましたが、親となり子育てをするうちに、自分の子供たちにこの問題を引き継がせるわけにはいかないと思い始め、今回敢えてこの問題を表面化させ、社会に一石を投じたいと思い筆を取るに至った次第であります。


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その日本社会が長年に渡って放置し続ける問題とは、

 







乳首と乳輪を総称した呼称がない問題

であります。




えー、今の一文で9割方の読者がブラウザバックしたかと思うのですが、改めまして残り1割の読者の皆さんこんばんは、吉田粘土です。



いや、前から思ってはいたんですけどね。
別に、あってもいい気がするなって ずっと思ってたんです。普通に考えたら、あっても全然おかしくないってね。


16時~19時の時間帯に、保育園の場所を活用してダンスや英語教室などの習い事を園が主導で(有料で)開催することによって、各保育園が独自に収益を上げて、保育士に還元する仕組みとかあってもいい気がするなって思うんですけど… 




勿論、今回そんな話はしません。



そんな保育園の経営課題に切り込む気は全然なくて、前述した通り、乳首と乳輪を総称した日本語があってもいいと思うんです。いや、むしろ無い方が不自然じゃないかとすら思っています。
日本人全員「そんな呼称は無くても別に困らないし」みたいな態度でいますけど、肌の色と全く異なる色味を有する この自己主張の強い器官に対して、呼び方を決めないという態度は、言葉を使うことで進化してきた人間にしては、あまりにお粗末な状態ではないかと思うのです。





ちなみに、乳首・乳輪をgoo国語辞書で調べると、以下のように記載されています。


ちくび【乳首】:乳房の先の突き出た部分。乳頭。

にゅうりん【乳輪】:乳首 (ちくび) の周囲の褐色の部分。乳暈 (にゅううん) 。




また、Wikipediaではこう記載されています。


乳首 出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia) 乳首(ちくび)は、哺乳類が有する、胴部に左右の対をなしている小さな突起状の器官で、乳頭ともいう。

乳輪 出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)  乳首の周囲の部分にて、焦げ茶色・黒色・桃色の部分を意味する。乳暈(にゅううん)と呼ぶ場合もある。



ここから2つのことが分かります。

1つ目は、乳首とはあくまで突起部分であり、乳輪とは乳首の周辺部分であって、やはり言葉上は乳首と乳輪は完全に別パーツだということ

2つ目は、30過ぎて乳首の意味を調べていると、なぜか無性に悲しくなってくるということ

という2つの事実が見えてきます。
読者の中には、『乳首』と言った場合、乳輪も含まれるのではないかと考えている人もいるかもしれませんが、もしも、乳首が乳輪も含めた全体をさす呼称であった場合は、乳輪の説明に「乳首の周辺部分」とは書かれないはずで、「乳首における突起部分以外の外側の~~」みたいな説明になるはずであります。

ですから、乳首と乳輪は、ぐりぐら くらい別物なのです。


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通常、乳首と乳輪は、人々の潜在意識の中では1セットで認識していることが圧倒的に多いと思うのですが、そうであるにも関わらず、その二つを総称して呼ぶ日本語は現在の日本社会には存在しないのであります。

日本人は、オグシオスエマエ、タカマツなどの新しい呼称を生み出している暇があったら、さっさと乳首乳輪ペアの呼称を決めるべきなのです。



この問題に関して、先程 私は『二つを総称して呼ぶ日本語は現在の日本社会では存在しない』と書きましたが、よくよく考えると、そんな大事な日本語を歴史の途中で引き継ぐのを忘れてしまったとは考えにくいですし、戦後すぐにGHQによって使用禁止になったとも思えません。マッカーサーも、そんなヤンチャはしないと思います。

つまり、存在していないと言うのは、日本という国が創世されたときから存在していないと考えるべきなのかもしれません。



つまり、この問題は、古事記日本書紀から脈々と引き継いでいる日本国としての根源的な問題であるとも言えるのであります。
この問題を解決すると言うことは、建国以来の課題が解消されたと言える正に一大事であり、それが果たされた暁には日本人は民族として大きな一歩を踏み出すこととなるのです。
(そういう意味で、本来は昨日の建国記念の日に書くべき話題だったのかもしれません)





とにかく、民族として一歩前へ進むためにも、今すぐに、乳首と乳輪を総称した日本語を定めるべきなのです!!



今、このブログを蔑んだ目で見ている女性読者諸君!!



あなた方がそういう目を向けるから、この問題はいつまでたっても解決しなかったとも言えるのです!!










すみません、ついつい熱くなりすぎました。




えーと、ここまで読み進めた奇特な読者の中には「それって日本だけの話なの?外国の言葉はどうなってるの?」と思った方もいるかもしれません。


その疑問に対して私が言えることは2つ。

そんなもん調べてないから分からないということと、

仮にそれを知って一体何になるって言うんですか?という逆質問です。

こっちは、ふざけ半分で書いてるだけなので、別に実態をくまなく調査して問題提起する気なんかさらさらありません。
だいたい、会社のパソコンで、乳首と乳輪のWikipediaのページを開いている時点で、大変なリスクを背負っているんですから、更に「乳輪 乳首 ロシア語」みたいな検索をさせないでください。





お前が言い出した話だろとお怒りのあなた、安心してください。

中途半端な問題提起だけして逃げ出すのは、さすがに卑怯だと思うので、ちゃんと最後にこうすればいいのではないかという問題解決の道を示して終わります。



私が解決の糸口を示すので、あとは、このブログを読んだ人の誰かがその解決方法を金田一央紀くんに提言してもらえれば、この乳首乳輪問題は解決に向けて大きく動くはずです。






その解決方法ですが、

 

 

 

 

カタカナで

チクビ もしくは ビーチク

のときは乳首&乳輪という意味合いにする



というのはどうでしょうか?




だって、なんとなく『チクビ』って書かれてると、途端に乳首も乳輪も含まれてる気がしませんか? だから、もうそれで良くないですか?

 

 

 

 

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金田一央紀先生!いかがでしょうか!?



あれ? その表情…
先生、もしかして乳首イジられてます?