おっとっと冬だぜ

広義の意味で日記と言えるが 狭義的にはゴミ置き場

面白くて大好きなブログを紹介【許可なく勝手に褒めちぎる】

私が読者登録しているブログの中で、最近、最も気になっているブログを紹介したいと思います。今回の記事は、そのブログの書き手の方へのお手紙であり、恋文であり、挑戦状であり、祝詞であり、不幸の手紙であり、犯行声明文であり、挨拶状と言ったところであります。
思いのたけをありったけ書いてたら総文字数が3000文字を遥かに超えてしまったので、本来は、巻物にして本人に直接手渡したいのですが、まぁ、お互いブログをやっているので、ここで失礼致します。
皆様方におかれましては、場末のスナックのママが3軒隣の場末のスナックのママを褒めているみたいな感じで受け取ってもらえればいいかと思います。

 

 

さてさて、そんなわけで早速紹介したいと思うのですが、今、私が毎日更新を待ち焦がれている、超抱腹絶倒の面白ブログはこちらです。

※ちなみに、このブログの著者であるイモケンピ先生とは一切絡んだことがないので、怒られないかどうかちょっと心配です。「吉田粘土とかいう奴、影響力 全くねぇくせに、人のブログ勝手に紹介してんじゃねーよ」みたいに思ったら超メンゴです。あと、ホントに影響力少なそうなんで、このブログからの流入数とか晒さなくていいですからね!いや、マジで。

 

 

見事なまでに不条理さを極めたブログ

まずはブログの名前が素晴らしい。

ブログ名、「ピンケのモイ!」。全くもって意味がわからない。

間に助詞である「の」を用いているので、連体修飾語となっており「モイ」という単語が体言で、「ピンケ」の方が修飾句で、「ピンケ」が「モイ」を修飾している形になっているであろうことまでは理解が及ぶ。
しかし、そこからいくら思考を深めても、「ピンケ」も「モイ」もその単語の意味は皆目見当がつかないのである。自分の浅はかな人生経験で得られる知識では、ヒントとなりそうなものが何もない。

そのくせ、語呂・語感だけは無駄に良いのである。「ピンケのモイ!」声に出して読みたくなる。その語感のもたらす躍動感は、あの「チャンレジジョイ」を彷彿とさせる。
意味は分からないのに、語感だけは無駄に良い。不条理さが極まった素晴らしいブログ名であると言える。

 

そして、IDがまた素晴らしい。

「imokenpi10」というIDは、恐らくあの「芋けんぴ」であろうことは想像できる。
こちらは思考の迷路に迷い込むようなものではない。

ただし、イモケンピを名乗っておきながら、ブログで芋けんぴの宣伝をしたことは一度もないし、普通のブロガーであればプロフィール画像芋けんぴにしてしまうところであるが、この男はそれもしないのである。

ブログの本文を読む前からこの男の圧倒的な才能が溢れ出ているのである。

 

※あっ、ちなみにピンケのモイは、イモケンピを逆さから読んでるってのは分かってますよ。
 指摘しなくていいですからね!

 

記事は他の追随を許さないくだらなさ

中毒性のある下品な文章は要注意である

基本的に画像は貼らず、見出しも使わず、決まったフォントサイズで自分の思うところを淡々と書き連ねていくスタイルのブログであるが、イモケンピ先生の流れるような文体に対して、その思考のくだらなさが実に心地良いのである。

クリトリスが豆電球ならいいのに。暗くて穴がわからない。

「ブーメランおパンちゅ」にはなぜか言霊が宿っている様に感じます。

こんな記事書いたのも全部、近所にある栗の花の匂いのせいだわ。精液と同じ匂いがするとか最初に言った奴出てこいよこのスペルマニアが。悪だわ。まじ悪の華

身体に対してまっすぐ勃っているようなら90度ですフニャチンは180度。公式の測定方法は知りませんけど。
僕はフルで、69度ですね。ロックであり、ムクムクであり、シックスナイン。

「やーいやーい!お前の母ちゃんふわトロ名器ー!」って煽られたほうが、同じ煽りなのに後者の方が圧倒的に柔らかさを感じることが出来るわけですよ。

アニメとか漫画のベタな占い師って、水晶を覗き見て未来やらを予見していますよね。わかりやすいところで言うとドラゴンボールの占いババみたいな。

現実でああいう占い師がいるのかはわかりませんけど。「あれなら僕にも出来そうだな」と。

キラキラに反射する自分の亀頭を眺めていて、そう思いました。

 

イモケンピ先生は、毎回毎回こんな感じのワードをぶっ込んでくるのである。普段どういう生き方をしてたら、このようなワードが脳内に浮かんでくるのであろうか。狂気の沙汰としか言いようがない。

最後の引用文などは、引用部分だけを見ると単なるお下劣な文章としか感じられないかもしれないが、そう思う人がいたら実際にこの文章を自分の脳内から捻り出すことができるかどうかを自問してみるといい。
「水晶」というワードから、「亀頭」というワードを引っ張り出せる異常さには、同じブロガーとして畏敬の念を感じざるを得ない。脳科学者は今すぐ研究材料とすべきである。

 

特に好きだった記事

 特に私が好きなのは、この記事である。
僭越ながらブックマークの一文にはこのように評させて頂いた。

思慮深い文章でありながら、読後には爽やかな風が吹き抜けたかのような爽快感が訪れる。また、書き出しの美しさは見事。名文と言える。

ただ、これだけでは全く書き足りていないので、今回はもう少しこの記事に関して思うところを付け加えていきたい。

 

クラシックの異端児やドイツの哲学者まで思いが及ぶ

現在、ブログの書き方として「タイトルで釣れ」という技法がそこかしこで紹介されているのは皆さんも周知のところである。「タイトルに9割の力を注ぎ込め!」くらい盛って言われている中で、もしも私がイモケンピ先生のこの記事にタイトルを付けるとしたら

【尻熱!】ウンコを漏らした時に使える たった1つのテクニック

みたいなタイトルにしてしまうであろう。ウンコを漏らした人間をターゲットにして、そのターゲットが知りたいであろうことが書かれている風を装うのである。実にありがちなタイトルである。
ところがそういった下品な小細工を一切しないのがイモケンピ先生の格式の高さなのである。


タイトルで人の心を揺さ振るスタイルが圧倒的に是とされている世の中で、イモケンピ先生は敢えてタイトルから最初の数行まで、非常に静かな入りをしていくのである。
それは300年近く続いていた西洋音楽伝統の「調性音楽」のスタイルをぶち壊し、グレゴリオ聖歌で使われていた音階「教会旋法」をクラシックに持ち込み「無調」の先駆けとなったエリック・サティの異端さに通じるものがある。

そのようなところまで思いを巡らし、改めてこの記事を見直してみると、イモケンピ先生の静かな入りには、サティの名曲「ジムノペディ」のイントロ部分のゆったりとした静寂さの中に、独特の愁いを帯びた旋律が刻まれるあの名曲の雰囲気と近いものを感じてしまうのは私だけであろうか・・・。

 

うむ、私だけであろう。

 

中盤でようやく

パンツにうんすじ付けながら、だいたいのあらすじ、つまりうんすじを考えていたのです。

このように記し、この話の本筋(ウンコを漏らした事実)をようやく明示するわけであるが、この段階まで来てしまうと「大人とは」と付けた格式の高い記事タイトルからはあまりに落差のある内容にまで急降下しており、ドイツの哲学者カントが言うところの「緊張と緩和」が見事に表現されているのである


人間の弱さ、脆さをさらけ出しながら、それでも人間として誇り高く気高く生きていこうと決意し、明日に向けて再び一歩踏み出さんとするイモケンピ先生の姿勢に、読む方も自然と生きる勇気をもらえるのである。今すぐにでも道徳の教科書に載せるべき名文である。

 


Erik Satie - Gymnopédie No.1

 

私のゴミクズのような文章を読む時間があるほど人生に余裕がある方々には、ぜひイモケンピ先生のブログも読んでもらいたいと切に願う次第である。


イモケンピ先生へ
好きすぎて ちょっと盛大に書き過ぎました。すいません。
迷惑だったら削除するんでいつでも言ってください。

 

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