おっとっと冬だぜ

広義の意味で日記と言えるが 狭義的にはゴミ置き場

藤田西湖著『最後の忍者どろんろん』 感想 完結編

何か忘れていると思ったら、「最後の忍者どろんろん」の感想を書くのをすっかり忘れていましたね。

第1回目の感想記では、幼少期の忍術修行の模様を紹介し、そこで忍者は犬と会話できて、コップを食べられるという新たな忍者像を植え付けることに成功しました。(成功したのか?)
前回の第2回目の感想記では、実際に忍術を使って活躍する藤田氏の若かりし日の模様を紹介し、自分の太腿を切って食べる おちゃめなエピソードなどをお伝えいたしました。
そして、今回がラストになるわけですが、今回は第8章「現代戦と忍術」以降について紹介していきたいと思います。

6~7章では、透視能力を使って生き神様として祀り上げられたり、懇意にしている後藤新平を助けたり(あの 後藤新平 - Wikipedia です)、ロシアの怪力男と力比べして最後にコップ食べて打ち負かす話とかも面白いんですが、今回は割愛します。
生き神様と言われた時期の回顧録の胡散臭さに対して、8章以降の戦時中の話はエピソードが一気に生々しくなり、当時の陸軍周辺の空気を知る材料として非常に面白いのです。

満州事変では現地調査を請け負う

満州事変は、満州の現地の陸軍の部隊(関東軍)が独断で攻撃を仕掛け中国と戦争を始めてしまったという経緯は日本史でも習いますよね。
結果、関東軍は勝利を収めるのですが、このとき関東軍は最初に仕掛けてきたのは中国側だと軍中央部にウソを付くわけです。そして、これが後に2・26事件や5・15事件で陸軍が暴走するキッカケを作ったと今日では見られているわけですが、この満州事変が起きた際に、藤田氏は軍中央部に頼まれて現地に調査に行っています。ちなみに、依頼してきたのは小磯国昭(後のA級戦犯)だったとのことです。

今までと雰囲気が変わってね?

満州での調査では、実際に板垣征四郎(後のA級戦犯)、石原莞爾満州事変の首謀者として有名)、土肥原賢二から実際に事情を聞いたらしく、多くは語っていませんが藤田氏は見事に騙された模様です。つまり、満州事変の際、関東軍は忍者も欺いたわけですね。

そのあと、現地調査時に敵の弾が飛んでくる中で、馬上で体をかがめず、胸を張ったまま逃げたというエピソードを紹介して、自身の勇ましさをアピールしてますが、満州事変に関しては関東軍の暴走を見抜けなかった時点であんまりかっこよくありません。(それを帳消しにしたいがための馬上のエピソードなのかなと)

支那事変では蒋介石の暗殺を依頼される

満州事変の後、藤田氏は、陸軍の依頼を受けて満州で忍術を使用した諜報活動を指南したそうです。(尚、これが後の中野スパイ学校に繋がってくるわけです)
半年ほど指導し日本に戻った際に、今度は陸軍の中央部に呼び出され、蒋介石の暗殺を依頼されるのです。このときの描写が非常に緊迫感が伝わってきます。

少将の表情は、いつになく真剣そのもの、彼は鉛筆をとって小さなメモにスラスラと書いて、私に示した。極秘の筆談である。
蒋介石の暗殺をお願いいたし度(た)し」
これを見てさすがに私も驚いた。
(中略)
「特に小生に御依頼さるる理由如何」
と、たずねた。
すると『重慶』という二文字を書いて、
「ここを地上部隊で占領するのは、地理的に殆ど不可能です。飛行機の着陸場はないし、空軍でもダメです。少数部隊の潜入ということも考えられますが、ここに行くには、どこから行くにしても、大きな橋が三つか四つあって、これがまた、最大の関所になっている。ここを単独潜行していけるのは、藤田さん以外にないと思い、お願いした次第です」
と、いうことである。

 そして、熟考の末、その依頼を引き受けて、中国に旅立ちます。

現地と中央部の戦況の認識の違いを知り約束を反故にする

中国に渡って、蒋介石暗殺の機会を探っている間に、藤田氏は現地では軍中央部と違った見方をしていることに気付きます。現地では、蒋介石の国民党よりもロシアがバックについている中国共産党の方が手強いと感じており、蒋介石を暗殺すれば、国民党と中国共産党が手を組み中国が一枚岩になってしまう恐れがあると言って、藤田氏に思いとどまるように説得します。
結果的に、藤田氏は軍からの暗殺依頼をすっぽかして、日本へ帰ってしまいます。
帰国後は大本営に近づかないでいましたが、閑院宮殿下が藤田氏の安否を心配し、陸軍に今後も同じ付き合いを続けるように言ったことで、依頼を反故にした件は不問に問われます。

太平洋戦争開戦直前には中野スパイ学校の講師を務める

戦時中にスパイを要請したとされる陸軍中野学校は、いろいろな小説で取り上げられていますが、その全貌はいまだに明らかにされていません。(グアムで発見された横井庄一なんかも中野学校出身だったためにあそこまで生き延びたというふうに言われています)

藤田氏も開戦直前まで講師をしたようですが、本書では実際に教えた忍術やちょっとしたエピソードは書いていますが、実際に卒業生が戦線に送り出されてどういった任務に就いたのかは一切知らされていないようで、本書を見ても中野スパイ学校が戦中にどのような役割を果たしたかはなかなか見えてきません。
尚、エピソードとしては以下のようなものが紹介されています。

さて生徒の方は、まずこの学校に入校と同時に、名前のない人間になってしまう。ちょっと囚人のように一人一人番号が付せられ、教官の方からも生徒同士でも、番号で呼ぶ。そして一歩でも校門を出ると、お互いは絶対に話し合ってはならず、全然見知らぬ人間を装うことを強要される。

各家庭には毎月給与が入るので、一応生きていることだけは伝わるそうです。

近いうちに中野スパイ学校の本を読んでみたいと思いますので、機会があればここで紹介します。

戦時中は忍者の秘薬を作るように依頼をうける

戦時中には、陸軍から秘薬の作成を依頼され、実際にいくつか作成したようで、その中の一つがヒロポンだったそうです。漫画「哲也-雀聖と呼ばれた男」で印南が打っていたアレです。打つと牌が透けて見えるようになるアレです。
藤田氏が作成したものを元に陸軍が製造したそうですが、埼玉県の某所に大量に貯えたまま終戦となり、これを戦後、農村の男女が野良ダンスなどで夜遊びするのに盗んで使用して全国に広まったそうです。
これに関して藤田氏は申し訳ないことをしたと回顧しています。

 

戦後は武術の研究を進める

敗戦後はGHQにより武道は全面禁止になったため、研究方面に勤しんだようで、実際に藤田氏によって上梓された本はいまでも小田原市立図書館で読むことが可能となっています。(一部、国会図書館ライブラリーでも閲覧可能)

藤田西湖とは何だったのか?

最後に、私が藤田西湖をどう捉えているかについても一応書いておきます。
これは私の勝手な解釈ですが、恐らく、藤田氏は武道に長けており、その研究をしながら尋常ではない鍛錬をしていたのはまず間違いないと思います。また奇術師的な側面もあり、霊能力やマジックにも精通していたものと思われます。
ただ、実際に忍者の一族の末裔で、正式に忍術を継承されたのかどうかは良く分かりません。というよりも、相当怪しいとは思っています。(あくまで私見です)

ただし、自身が最後の忍者であると言い切り、数々のエピソードを世に残しつつ その名前を世間に広め、そのまま最後まで逃げ切ったのは間違いないわけです。今では、それが本当だったかどうか確かめようもなく、現代の我々はまさにドロンと煙に巻かれた恰好なわけです。そして、やっぱり彼の語り口の上手さは、現代の我々が見ても十分に面白いのです。

 

捕まって土とか泥を食べる くのいち系のAV出ないかなぁ・・・。

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